ウッチーのプロフィール

初めまして。ウッチーです。

僕は昔、こんな悩みを抱えていました。

「とにかく毎日が辛い……」

「生きてる意味あるのかな? 死にたいよ」

世知辛い世の中ですから、こんな風に感じる方も多いかもしれません。

僕が昔、「死にたい」と考えていたのには理由があります。

理由――。

それは、僕が「統合失調症」という病気を抱えているから。

そう。僕は統合失調症という精神障害を患っているのです。

っていうか、お前誰だよ?」

こんな声が聞こえてきそうです。

確かに、自己紹介がまだですね。

僕は、本名を内山健太と言い、ウッチーという愛称で活動しています

現在34歳(2019年12月現在)です。

僕は26歳の時に、統合失調症を診断され、障害者になりました。

そして、人生に大きく絶望していたのです。

「とにかく死にたい!」

「辛い! もう嫌だ!」

こんな風に考えていました。

ですが、僕は「WEBライティング」と出会い、人生が変わったと自覚しています。

もしもWEBライティングと出会っていなかったら、きっと未だに不幸に中にいたかもしれません。

また、僕は統合失調症であるため、普通の仕事がほとんどできなかったのです。

これから、僕の過去を少しお話ししたいと思います。

□孤独の学生時代

僕はあまり友達がいません。

というよりも、「ゼロ」と言ってもいいかもしれません。

学生時代は、友達がおらず、大抵一人で過ごしていました。

本が好きだったので、図書館に行っては、本を借りてきて、それを読む生活。

全てが一人でできるので、常に孤独でいた感じです。

それって寂しくないの?」

そんな声が聞こえてきそうです。

確かに、孤独は少し寂しい。

僕も悩みや愚痴を話し合える友達が欲しかった……。

これは事実です。

でも、どんな風にして人と接すればいいのかわかりませんでした。

統合失調症の方は、人付き合いが苦手というケースが多いです。

僕も類に漏れず、人付き合いが苦手です

だから、孤独だったんだと思います。

今思えば、この孤独な学生時代にも、統合失調症の気配はあったかもしれません。

よく、空想していましたし、独り言が多く、何かこう、自分が誰かに狙われているという、奇妙な恐怖があったのです

ですが、僕は孤独に過ごし、学生を卒業します。

□仕事ができない社会人生活

僕は学生を卒業してから、すぐに働けませんでした。

就職が決まらず、大学を卒業した後も専門学校に通い、勉強していたのです。

だから、僕は25歳まで学生でした。

そして、25歳の時に、初めて企業に就職します。

それは、洋服の生地を扱う「テキスタイル」の会社でした。

ようやく仕事に就けたので、僕は一安心していました。

けれど、これが大きな間違いだったのです。

僕は、仕事が全くできず、試用期間である3カ月でクビになってしまいました

初めて就いた仕事をあっさりクビになり、僕は再び就職活動を始めます。

しかし、もともと社会性がないのか、どこからも採用されず途方に暮れました。

そんな中、今度は洋服屋の仕事が決まり、再び社会人になりました。

ですが、それも1年しか続きませんでした

とにかく仕事ができず、怒られる日々。

ストレスばかりが溜まり、僕はいつしか幻聴を聞き、幻視を見るようになりました。

つまり……、

統合失調症の症状が、本格的に現れ始めたのです

□統合失調症発病!辛い療養生活

僕は洋服店の仕事をしている時、幻聴や幻視に悩まされました。

奇妙な女の人の声を聴き、四六時中自分を監視されていると思っていたのです。

そのため、自分の家の家具を破壊し、バリケードのようなものを作っていました。

今思えば、まともではありません。

完全に統合失調症の陽性症状が現れ、苦しんでいたのです。

また、幻視も僕を苦しめました。

ツルハシをもった人間が、電柱に登っていく幻視を見たり。

さらに、ドアノブがカセットコンロの点火スイッチ見えてしまい、ドアが開けられなくなりました。

こんな風にして、僕は少しずつ弱っていきます。

それでも……、

「医者に行ったら負けだ!」

「自分が弱いからいけないんだ!」

こんな風に考え、僕は断固として医者に行きませんでした。

ただ、そんな生活も限界がやってきます。

僕は統合失調症の陽性症状を前に、睡眠不足になり、さらにご飯が食べられなくなりました。

そのため、20㎏以上も痩せてしまい、完全に病的な身体になったのです。

この時、僕は狂ったまま働いていたのですが、流石に様子がおかしいと会社の上司が病院を勧めてくれました。

ここで、ようやく僕は精神科を受診するのです。

その結果、統合失調症と診断され、3カ月間、精神病院の閉鎖病棟に入院が決まりました

「あぁ、人生終わった!」

「もう死ぬしかない!」

精神疾患で入院すると、もう人生が終わったと思っていました。

僕は入院期間中、最初はとにかく自堕落に過ごすようになったのです。

とにかく希望がありませんした。

「このまま死んでもいいや」

ずっと、そんなことばかり考えていました。

ただ、そんな時、僕の担当医師が日記を書くことを勧めてくれたのです。

特にやることもなかったので、僕はノートを買い、そこに日記を書くようになりました。

それから、少しずつ僕の入院生活は変わっていきます。

「何かを書いている時は、心が落ち着く」

と、思うようになったのです。

日記からさらに範囲を広げ、朝日新聞の天声人語を書き写したり、小説の気になった部分をノートに散文的に書いたりしていきました。

いつからか、もっと書きたいと思うようになったのです。

□退院後「書く」仕事に就く

3カ月の入院生活が終わり、僕は自宅に戻ってきました。

それでも、直ぐに働けるわけではありません。

僕は当時一人暮らしをしていたのですが、最初は実家に戻り療養していました。

「僕、働けるのかな?」

「このまま仕事ができなくなったらどうしよう?」

死にたい欲求は少なくなりましたが、また新たな悩みが出てきたのです。

それは、無事に働けるかということ。

僕は、実家での療養を終え、再び一人暮らしを始め、就職活動を始めます。

しかし、これが全く上手くいきません。

なんというか、統合失調症の後遺症なのか、人の話が理解できないのです

結局、僕の療養生活は2年間に及び、その間、僕は社会から一歩離れた場所で生活していました

転機が訪れたのは、28歳の時でした。

この時、僕はデイケアという医療サービスを受け、統合失調症のリハビリをしていました。

そこの担当カウンセラーから、就労移行支援という制度の紹介を受けるのです。

そして、就労するために、就労移行支援をやっている事務所に入所し、就職活動を始めます

「本当に就職できるのだろうか?」

「病気が酷くなったらどうしよう?」

悩みは尽きませんでした。

それでも、僕は勇気を持って一歩踏み出し、ある障害者の施設に就職することになったのです。

その会社は、WEBライティングの仕事を請け負っており、僕に合っていました。

仕事を始め、僕は主にブログ記事を書くことでお金を貰うようになります。

何かを書く仕事は、とにかく楽しく、僕をやる気にさせたのです。

このまま書く仕事を続けていきたいと感じました。

そのまま、僕は3年間会社のWEBライターとして働きました

ある程度、書く力が高まったので、フリーランスのWEBライターの道を選んだのです。

現在では、フリーのWEBライターとして、主に書く仕事をしています。

ライティングの仕事は、時に厳しいですが、とても充実しているのです。

「生きていてよかった!」

「統合失調症でも働けるんだ」

こんな風に思うようになりました。

僕は、WEBライターの仕事を始め、確かに変わっていったのです。

死にたいと思っていた悩みがなくなり、充実した日々を送っています。

自分の可能性をさらに広げるためにも、このブログをオープンさせました。

「統合失調症に苦しむ方の希望になりたい」

「有益な情報を与えたい!」

その想いを胸に、僕は統合失調症の方に向けたブログサイトを作っていきます。

「とにかく死にたい」

「生きていても意味がない」

「統合失調症になってしまい、人生が暗黒だ」

こんな風に考えている方の希望になりたいと考えています。

例え、統合失調症になっても、悲観することはありません。

自分らしく生きる道が、どこかに残っているのです。

僕はたまたまそれが書く仕事でしたが、あなたにも自分に合った仕事があるはず。

僕は、決して能力の高い人間ではありません。

仕事も点々としてきましたし、怒られてばかりでした。

それでも、「書く」仕事と出会い、確実に変わったのです

もしも書く仕事と出会っていなかったら、もっと不幸になっていたかもしれません。

僕のサイトを見て、統合失調症の方が、自分らしく生きるための道を見つける。

こんな風になれば、これほど嬉しいことはありません。

ぜひ、一緒に頑張っていきましょう!

ウッチー

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