はじめに
統合失調症や精神疾患について語られるとき、「怖い」「危ない」「理解できない」といったイメージが先行してしまう場面は、今も少なくありません。しかし、その語りの中に 当事者の体験そのもの は、どれほど含まれているでしょうか。
2026/01/24のライブ配信では、「正解を出す」ことよりも、当事者・支援者・社会が どうすれば対立せずに理解し合えるか を、視聴者と一緒に考えていきました。この記事では、その内容を整理しながら、「これからの社会に本当に必要な視点」を言葉にしていきます。
統合失調症の陽性症状はなぜ誤解されやすいのか
陽性症状とは「増える症状」であって「危険」ではない
陽性症状とは、幻聴・妄想・被害感など、本来ないものが「増えて感じられる状態」を指します。「陽性」という言葉自体に、危険性の意味は含まれていません。私は、陽性症状という言葉の響きがあまり良くないと感じています。
何かこう、薬の陽性反応みたいな印象を与えてしまうため、どうしても「危険」「怖い」のようなイメージを植え付けてしまいやすくなるためです。この名称を変えるのは難しいですが、正しい知識を持つ必要があると思います。
症状と人格を結びつけてしまう誤解
「妄想がある=その人の性格が歪んでいる」「幻聴がある=信用できない人」こうした結びつけは、症状と人格を混同した典型例です。そもそも、統合失調症の陽性症状が出ている時の、患者さんの人格というのは、その人の本来の人格ではありません。
陽性症状が落ち着き、安定してきた時の人格こそが、本当の姿なのだと思います。それにもかかわらず、陽性症状の時ばかりがクローズアップされ、それが原因となり、「危ない」「怖い」などのイメージを与えてしまうのです。
メディア表現が作ってきたイメージの問題
リアルな描写が偏見を強める危うさ
映画やニュースは、症状を強調することで「物語性」を生みます。しかしそれは、当事者の生活全体ではなく、最も強烈な一面だけを切り取った像になりがちです。確かに、統合失調症を映像で描く場合、陽性症状を映すのが最も手っ取り早いでしょう。
ただ、陽性症状ばかりを映しても、本当の意味で統合失調症は理解できません。なぜなら、統合失調症という病気は、陽性症状だけではないためです。ですから、陽性症状を経て、その患者さんがどのように回復して、今どうしているのかなどを描く必要があると感じます。
当事者不在の語りが生むズレ
多くの作品は「専門家視点」か「外部からの観察」で描かれます。当事者の語りが抜け落ちることで、現実とのズレが広がります。これはある意味映像の持つ宿命であると思います。なぜなら、限られた時間の中で統合失調症を説明するためには、専門家の声が必要になるためです。
ただ、これだけでは統合失調症という病は一生理解されないと思います。当事者の視点が抜けてしまうと、本当の意味でその病気がどんなものがわかりません。療養して回復し、現在の様子をトータルで描いてこそ、意味があるのです。
医療と社会のあいだにある見えない壁
医療の言葉と当事者の感覚のズレ
医師は診断名・数値・症状分類で話しますが、当事者は「世界の歪み」「感覚の異変」として体験しています。統合失調症の症状は、個人差が激しく、それらを単純に一つに分類することはできません。
ですから、医師の専門的なデータを使った説明と、当事者の生の声の両方が必要になるのです。にもかかわらず、実際には、専門家のデータばかりが重要視され、重要な当事者の声が届いていないという問題があります。
評価される場として感じてしまう診察室
「うまく説明しなきゃ」「正しく話さなきゃ」この緊張感が、医療との距離をさらに広げてしまうこともあります。医師との診察は、患者さんにとっては緊張の場となりやすいですが、全てを上手く話す必要は全くないと思います。
例え断片的であっても、ある程度伝えたいことは伝えられます。大切なのは、話の上手さではなく、伝えようとする意思の方だと思います。ですから、最低限伝えたいことをメモしながら、それを断片的に伝えるだけでも十分だと感じます。
支援者に求められる距離感と姿勢
正そうとしない、評価しない関わり
支援とは「導くこと」ではなく、「一緒に考えること」である方が、当事者にとって安全です。統合失調症の患者さんを支援するという取り組みは、非常に大切です。しかし、この支援というが意外と難しいと感じています。
なぜなら、統合失調症はわかりやすい病気ではなく、人によって個人差が非常に大きいため、その人に合わせたオーダーメイド型の支援が必要になるためです。そのため、支援する側も、しっかり病気についての知識がなくてはいけません。
当事者の語りを修正しないこと
妄想や違和感の語りを、すぐ否定せず、「その体験がどう感じられているか」を尊重する姿勢が大切です。否定してしまうと、患者さんは心を閉ざしてしまいます。そして、一度心を閉ざしてしまうと、なかなか心を開いてくれません。
否定ではなく、共感する姿勢が大切なのだと思います。ですから「それは大変だったね。だからこう考えてみよう」「そういう考えもあるけど、こんなふうにも考えられるよ」など、患者さんの言葉を尊重しつつも、共感していく姿勢が大切になると思います。
【まとめ】これからの社会に望むこと
違いを前提にした社会設計
「普通に合わせる」のではなく、「違いが存在する前提で作る」社会構造が必要です。これが統合失調症という病が社会的に認知されて、理解されるためには、大切だと感じます。もちろん、決して簡単ではありません。
偏見のない社会は、一度で完成するものではありません。対話し続けること自体が、すでに回復の一部なのだと思います。医療者と当事者、そして関係者などが協力し合い、偏見のない社会を作り上げていくのだと感じます。
正解を出さず、考え続ける場を増やす
統合失調症の理解とは、と「症状を知ること」ではなく、「その人の世界を想像し続けること」かもしれません。正解を決めない対話。評価しない関係。対立しない社会。その積み重ねの先に、ようやく「生きやすい社会」は形になっていくのだと思います。
今回の記事では、統合失調症という病がもっと理解され、社会的な偏見をなくすためには、どうしたら良いのかという問題を、色々な視点から解説してきました。偏見のない社会を作り上げるのは難しいですが、一人ひとりの心掛けで可能になるのだと思います。
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