統合失調症と芸術表現の関係|絵・文章が心の支えになった当事者の実体験とアール・ブリュット

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はじめに

統合失調症と向き合う日々の中で、僕を支えてくれたのは「言葉にできないものを表現すること」でした。絵、音楽、文章、それらは治療のためではなく、生き延びるための手段だったのだと思います。

この記事では、当事者としての実体験をもとに、芸術・表現と病気の深い関係、そしてアール・ブリュットが持つ力についてお話しします。

統合失調症と「表現すること」の出会い

言葉にならない苦しさを外に出す手段

症状が強いとき、気持ちを説明することはとても難しくなります。そんな中で、絵や文章は「説明しなくてもいい出口」として機能していました。私が実際に絵を描き始めたのは、療養中に通っていたデイケアが始まりです。

そのデイケアでは絵画療法の時間があり、外部から専門の講師がやってきて絵を教えてくれました。私は最初、塗り絵から始めたのですが、次第に自分でも絵を描くようになりました。例えば、リンゴやジャガイモ、花の絵などです。

感情を整理する前に残せるという感覚

私が絵画療法を始めた時思ったのは、「整理できなくてもいい」「ただ描く、書く」という姿勢が大切なのだということです。表現は、混乱した心をそのまま受け止めてくれる場所でした。つまり、溜まった感情の吐口として芸術を利用するという形です。

このようにして芸術を感情の吐き出し口として利用すると、それがある種の癒しとなり、辛い療養の中にも、光が差し込んでいくような気がしました。ですから、感情を整理する前に残せるという感覚は、非常に大切だと感じます。

表現が「生きる支え」になった瞬間

調子が悪くても、表現だけは残っていた

生活が崩れても、体調が不安定でも、表現だけは不思議と続いていました。それは「自分がまだここにいる」という証明のようでした。というよりも、表現活動はどこか楽しかったのです。もちろん、自分の絵は決して上手いわけではないのですが、楽しさだけはありました。

そして、この「楽しい」という感覚が大切なのです。やはり、辛い作業は長く続けられません。しかし、楽しいという感覚がある作業など、仮に疲れていたとしても、「少しやってみようかな?」と思えるのだと思います。

評価よりも続けられたことの意味

絵が上手いかどうか、評価されるかどうかよりも、やめなかったこと自体が支えになっていたのだと思います。私が思うに、芸術療法をやる時に、絵の上手い下手は全く関係ないと思います。そして、私と一緒に絵を描いていた人たちも決して上手い絵を描く人たちではありませんでした。

大切なのは、絵の上手さではありません。絵を一つの装置として、自分の中に溜まった感情を吐き出し、ストレスを発散させることのほうが重要です。そしてそれこそが芸術療法の真の目的であり、到達点なのだと感じます。

アール・ブリュットが持つ本当の力

「上手さ」から自由な表現の価値

アール・ブリュットというのは、フランス語で「生の芸術」という意味があり、簡単に言うと、芸術教育を受けていない人たちの「芸術表現」のことを指します。そして、アール・ブリュットは、技術や正解から解放された表現です。

そこには、症状や苦しさを含めたその人そのものが現れます。アール・ブリュットの芸術は一定の評価される場合があり、障害を持つ方たちの描いた絵が美術展などに出展されるケースもあるのです。もちろん、評価される、しないで芸術を語るのはナンセンスだと思いますが、モチベーションのアップにはつながると思います。

病気を超えて「人として伝わる表現」

病気のラベルを超えて、「この表現は何かを感じさせる」その力が確かにあります。特に、病気を抱える人たちの表現は、普通の画家にはない特徴的な力があるように感じています。例えば、色の使い方が独特だったり、構図がユニークだったりするなどです。

芸術教育を受けていると、どこか型にはまったと言いますか、決められた枠組みの中で表現してしまいがちですが、芸術教育を受けていないアール・ブリュットの作家たちは、そのような枠が最初からないので、個性的な絵が描けるのでしょう。

「治すため」ではなく「生きるため」の表現

表現は治療の道具でなくてもいい

表現はリハビリでも課題でもなく、ただ生きるために自然に生まれた行為でした。私の場合、療養中は決して明るい毎日ではありませんでした。むしろ大変で生きるのが苦痛に感じていた時期でもあるのです。

なぜなら、統合失調症は回復するスピードが非常にゆっくりであり、年単位の治療が必要だからです。だからこそ、なかなか回復しない自分が嫌になり、自暴自棄にもなっていた時期でもありました。そんな中、芸術は私を支える生きるための「行為」だったのです。

回復とは「表現を取り戻すこと」かもしれない

症状が完全になくならなくても、表現を通して自分とつながれること自体が回復の一部だと感じています。そして、統合失調症の症状を完全にゼロにして、病気になる前と同じ状態に戻すと言うのは非常に難しいです。

ですから、一定の障害を抱えながらも、それと共存し、表現を通じて生きるという選択肢も私はアリなのではないか? と考えるようになりました。そして、回復というのは、「表現を取り戻すこと」なのかもしれません。

【まとめ】表現は生きている証になる

病気があっても、表現は奪われない

統合失調症があっても、表現する力は残ります。それは誰にも奪えないものです。同時に、統合失調症を抱える私たちだからこそできる表現があると思います。今回は主に絵について紹介しましたが、絵でなくても、「音楽」「文章」なんでもいいと思います。

大切なのは、表現する意思なのだと感じます。私の場合、絵を描く以外にも、漫画を描いたり、ヴァイオリンを弾いて演奏したり、または小説や詩を書いたりして、表現活動を行ってきました。それらは全て私の癒しになっていたのだと感じます。

あなたなりの表現が、きっと意味を持つ

描く、書く、語る、形は何でもいいと思います。なぜなら表現は、あなたが生きていることを静かに伝えてくれるからです。もしも今、あなたが療養中で苦しんでいるのだとしたら、何でもいいので、芸術活動を始めてみてください。

何かを始めるのに、早い、遅いはありません。思い立った時に始める「行動力」もまた大切なのだと思います。そして、表現活動を通し、あなたの中に溜まった感情が上手く吐き出され、ストレス発散につながるようであれば、芸術療法は確かに意味のある行為なのです。

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